2021/10/02 09:00
今日も本当に愛りがとうございます。
Crystaloveです。
ご相談と鏡あわせのギフト①
https://crystalove.thebase.in/blog/2021/09/26/100000
ご相談のお祈り文③
https://crystalove.thebase.in/blog/2021/09/28/080000
ご相談へのお祈り文 解説④-1
https://crystalove.thebase.in/blog/2021/09/29/090000
ご相談へのお祈り文 解説④-2
https://crystalove.thebase.in/blog/2021/09/29/093000
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お客様のご相談を頂き、ここ数日の私の体験。
想像を超えた、たくさんのギフトを頂きました。
その中で、大きかったことのひとつ。
従兄の交通事故死での、
私の悲しみ、痛みの体験の記憶が、
記録へ変化したこと。
この感覚が、
私がずっと知りたかった、
体験したい、わかりたいと思っていた、
真の赦しなのかもしれない。
と腑に落ちたことでした。
いろいろな分野の覚者の方や、
ACIM(奇跡のコース)や、
108さんの不足を疑う動画の中でも、
「この世は幻想である」
「病気や事故なども、本当は起きていない」
などという、愛の領域の見方。
私たちは本来、「充足しかない」
エゴの知覚不全により、
不足、不満、欠乏などの体験をしている。
108さんの不足を疑う動画でも、
足の指にケガをされた女性に対して、
「そもそも、ケガさえも不足だから、
ホントはしていないですよ。」
とご回答されていて、
ケガも嫌な体験だから、「不足」幻想。
私たちは、どこまで錯覚で生きているのか?
私自身の体験を重ねても、
納得、理解できないし、(エゴが抵抗して)
その感覚、領域がつかめず、わからないままでした。
今回のお客様からのご相談と、私の体験、
祈りを重ねたことで、
私の内的変化が自然と起こり、
多くの癒し、深い赦しへと運ばれて、
記憶が記録となったのです。
(重さなど何も乗らない)
今までの「過去が書き変わる」とは、
またレイヤーが違う、体験。
従兄の交通事故死後、
叔父も病気、顔の手術、
長年引きこもり、認知症も併発しました。
叔父自身も他の親族と、
絶縁していたので、
支援してくださる介護者がなく、
叔母もパーキンソン病を発症し、
徐々に生活に支障がでて、
長年の経過を経て、寝たきりに。
叔母の弟である父が、すべて引き受けて、
長年の介護、通院介助、各手続き、
身の回りのお世話、
その後施設入所、対応、
一家全員のお看取り、
お家や荷物の整理、処理、
葬儀、法事、
従兄一家のお墓の対応、管理など、
非常に多くの対応をしていました。
一般的な見方、感じ方、捉え方では、
そのことで、
重い体験、負担も、思うことも、多かったのです。
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この部分への、
従兄、叔父、叔母への怒りも、
両親への怒りも、悲しみも、
私の中に、本当はあったこと。
ここも見逃し、隠していた部分でした。
そんな経緯もあり、
長年、たくさんの想いも重ねてきた、
従兄一家のこと。
従兄での体験も、一般的な見方、
法的な判定では、被害者という見方。
今回もう一度、改めて、
お相手(過失側)の視点、立場にもなって、
眺めてみました。
自分の運転ミスで、
お相手が、大ケガや他界されたら、
もう生きていけない・・・と思うほど、
自己否定したり、
周りからも許されない、責められる、
直視したくない、できない、
逃げたい、怖い、
私もすごく怖い体験、衝撃体験、
深い傷になったと思います。
許してほしい。
許されたい。
自分自身も許したい。
愛したい。
従兄のお相手の車両の方へも、
もし、今、再会したのなら、
私は、一切の事象に関係なく、
私の思考や感情にも、
何の躊躇も、わだかまり、痛みもなく、
心からハグできる。
もういいよ、大丈夫だよ、と言える。
と思えたのです。
ハグすることに、
何か躊躇や、拒絶、違和感があれば、
まだそこに傷や痛み、
不足の見誤りがあり、
赦す、手放す何かがあるということ。
「従兄の交通事故も起きていない」
という領域に、
内的変化で、その感覚に、
今回、感じ、触れることができたこと、
この感覚、体験を得たことは、
非常に大きなものとなりました。
私がコースを学び始めたとき、
海外のコース学習者の方の体験談で、
その方の娘さんが殺されてしまい、
お相手の方を憎み、
ずっと苦しんでいらした方が、
コースを学び初めて、
娘さんの霊体と話せるようになり、
「娘さんは亡くなっていなかった」
「今もなお、存在している」
ということがわかり、癒しが起きて、
その後、お相手の方に会いに行き、
そのことを伝え、赦すことができた。
お相手の方は、その場で泣き崩れた、
というお話を聴いたとき、
私には無理だわ・・・
私にはできないわ・・・
と思い、当時、非常に驚いた体験がありました。
と同時に、この愛の領域に、赦せる体験に、
(赦せていないことが、たくさんあったので)
いつか私も触れることができたら、
わかることがあればいいな。
とも思っていました。
この部分の感覚を、今回、掴めたのです。
従兄、叔父、叔母も、
今は肉体を持って存在していませんが、
魂、意識、霊体は消えていない、
存在していること。
霊体となった彼らの存在にも、
これまでのいろいろな体験から、信頼、確信があり、
今も変わらず、交流できるため、
今の私にとっては、
肉体を持っていたときの従兄たち。
霊体となった従兄たち。
どちらも変わらず、存在している。
差がなくなり、何の差支えもないのです。
この何の差支えもない感覚。
記憶が記録になった感覚。
ただ存在を認め、愛する感覚。
これも、本当の赦しなのかもしれない。
記憶が記録となった体験は、(重さなど何も乗らない)
内的な変化は、
抽象度の高い領域なので、
言語化すると、難しいのですが、
例えば、
日本史、世界史などに触れたとき、
その立ち位置、見方で、描き方、表現の仕方、
受け取り側の見方、受け取り方でも、
多岐に変わるから、
その人にとって本当のことも、
人の数だけ無限にあり、
本当のことはわからないけれど、
記録として、ただ在る。
その記録を、
陰陽両方の側面、立場、領域を、
ジャッジせず淡々とみる、
そうなんだねと、淡々と、まるごと受け取る、
そんな感覚に、似ていました。
「肉体を持つということも、そのすべての経験を、引き受けること」
その覚悟があったから、決めたから、(魂レベルで)
私たちは生まれてきて、
今ここ、この地球に、生きていること。
全員が経験を持つと決めている。
(意識的に、無意識に、魂の計画で)
楽しい、幸せと感じる経験。
大変、辛いと感じる経験。
たくさん愛し、たくさん赦しながら、
良い、悪い、の二極で触れず、
「何が起こっても大丈夫!」
「本当は肉体を超えた、意識、愛の存在である」
という神視点、見方、在り方、心の器へ、
気づき、学び、成長し、
もともと一つの愛に戻っていく人生。
①恐れで繋がる関係性、グループ。
②愛で繋がる関係性、グループ。
③その二極を超えて、
全肯定の愛でみる
神視点、魂視点、愛視点の観察者、グループ。
③の視点、在り方が、一番最強です。
従兄を通じての体験も、
この③の視点、領域に触れて、
今回、体感、確信ができてから、
現実も動きだしました。
この数日間で、
・収入を得た
・無条件の愛の石が動いた
・私のために心から祈ってくださる方が現れた
・ブログ、SHOPのアクセスが増えた
・霊体のサポートで、(他界された方のお導きで)
お客様とご縁が繋がった
・私もお客様も見方の訂正、癒しが起きた
・祈りが一段と深まった(感覚、体験)
・ワンドを通じて、お客様とステキな交流
などのギフトも、たくさん受け取りました。
祈りが届き、采配が動きだした、
わかりやすいサイン。
私の心の中で、奇跡の灯が、点火したことで、(赦し、癒し)
同時多発的に、また愛が灯り、
周りへ、世界へ繋がり、広がってゆくこと。
そして、
お客様のご相談から、
ひとつの祈りを受けとり、
その祈りを通じて、成った、
私のたくさんの奇跡体験です。
個人の治癒、回復だけを、ゴールにしていたら、
多くの人にも影響、波及するほど、
ここまでの体験は、起こらなかったと思います。
☆【奇跡のコース】身体の症状がでたときに
たくさんのことが、ひとつの愛で繋がり、
それぞれが、影響しあっていること。
だからこそ、日々、自分を整え、
見方、知覚の訂正をし、
浄化、自己対話しながら、
またたくさんの愛と光の導線も見て、
祈りを重ね、
受け取りたいと思います。
祈りとともに、日常にある、
たくさんの愛と奇跡に、
毎日触れることができますことに、
心より感謝いたします
いつも本当に愛りがとうございます